暮らしの中の仏教語
 
             「餓鬼」 (がき)

 悪いことばかりする子どもに対して「この悪ガキ」と言ったりします。このガキは漢字で書けば「餓鬼」です。暮らしの中でも「あいつは餓鬼のようにガツガツ食べる」などと今でも使います。これはお腹がすいてどうにもならない状態をいいます。

 この餓鬼という言葉は本を正せば仏教語の一つで「餓鬼道」をいい、また地獄道、餓鬼道、畜生道、つまり三悪道の一つでもあります。

 単に餓鬼ではなく餓鬼道、「道」がついており生き方を意味しています。餓鬼という生き方を示すことで、誰もが等しく抱えて生きざるを得ない人間の問題を明らかにしているのです。では餓鬼とは何を私たちに教えようとしているのでしょうか。

 平安から鎌倉にかけて描かれ流行した絵巻に餓鬼草子がありますが、餓鬼の描写を見ますと鬼気迫るものを感じます。「鬼」なのです。その絵巻の餓鬼は、やせ衰えて今にも死にそうなのですが、お腹だけは大変ふくれています。お腹がパンパンになるまで食べても食べても、本当に満足ということがないのでしょう。

 人間にとって豊かさ、満足とは何なのか。
それが問われているのが「餓鬼道」なのです。そこでこの問いに応えて、お念仏申すものに開かれる利益を「満足志願」と申します。志願に満足すること。つまり真の満足とは、人間の思いが満たされるのではなく、限りなく、人間としての志願が明らかになり、その志願に生きる身になること。いい換えれば、苦悩の現実のただ中に限りなく課題を見いだしていき、そこにはたらく大いなるお育ての御恩に目が覚めることであります。

 どこまでも餓鬼道を生きる悲しい存在である私たち現代人こそ、お念仏に出会い、生きるべき志願を明らかにしていくことが願われているのです。