暮らしの中の仏教語
 
             「億劫」 (おっくう)
            
 「億劫」と書いて「おっくう」と読みます。正しくは「おくこう」で、それが俗語化したものです。もともとは仏教語で、「百千万億劫のこと。無限に長い時間。永遠」という意味です。それが現代では、「気が進まず面倒なこと。面倒に感じられるさま」に使われています。若者言葉で言えば、「だるい」「めんどくせー」です。

 なにかにつけて現代は「忙しさの時代」です。小学生でも、いまやお互いに遊ぶときにはアポイント(予約)をとるようです。アポなしでは、遊ぶこともできません。大人社会では、予定の入っていない日がないくらい忙しい。日曜日すら予定が入っています。まったく生きること全体がオックウな時代になりました。「洗濯もしなきゃ、銀行へもいかなきゃ、買い物をして、次に郵便局にいって」と考えるとオックウだなぁと思います。

 たくさんの仕事を前にして人間はオックウだと感じます。しかし、よく考えてみるとオックウと感じているのは「思い」です。「思い」は同時にいろいろなことを考えます。あれもこれもと考えます。しかし、実際にしている行為は目の前のたったひとつのこと以外にはないのです。何が人間をオックウにさせるのかといえば、やはり「オックウという思い」なのです。オックウという思いによって、自分自身が振り回され、苦しみ、どうしようもない迷いの人生を生きています。

 仏さまは「億劫」という言葉によって私たちに、「オックウの思いから目覚めいきいきとした人生を生きてほしい」と願われているのです。