情 報 特 選 便
情報過多ともいえる現代社会に生きていると、果たして本当に必要な情報を
得ているのかどうか不安になることがありませんか。
これほど多くの情報の中に身をおいていれば、見ようとしなければ見えない、
聞こうとしなければ聞こえてこないものも確実にあるはずです。
ただ、自分の興味の対象を定め、意識してアンテナを張っていると面白いほど
タイムリーに関連する話題や情報が飛び込んでくる便利さもあります。
ここでは「コミュニケーション」をキーワードに、主宰人の情報網に触れた題材
を要約し、独自の視点で考察を加え、ご紹介していきます。
上から順に新着情報となっております。
「求められるパーソナリティ、キャラクターとは?」
能力の有無に関わらず、採用する側は会って数秒の第一印象で結論をだしている。求職者
の笑顔・服装・姿勢・清潔感などがそのポイントとなる。
会社の求めるパーソナリティの雰囲気に近い人から採用されていくのが現実で、正社員にな
るには会社が求めるキャラクターを演じる必要がある。自分にあった仕事や自分に都合のよ
い仕事はなく、自分が仕事に合わせていくことを考えるのが大切。
(『ジャーナル・オブ・フィナンシャル・プランニング』2007年6月号/「『日本の貧困』
その実態とアドバイス」より)
FP資格者が特集の中で、学歴も資格もあるのになかなか正社員になれない若年層への助
言として述べたもので、FPらしく割り切った意見です。確かに、「自分にあった都合のよい仕
事」など転がっているはずもなく、大抵の人は現実と折り合いながら、その中で何とか楽しみや
やりがい、自分の存在意義を見出しながら働いています。
ただ、「会社の求めるキャラクター」を演じるのは簡単なことではありません。「当社は客商売
なので明るい人がほしい」と求められても、「私は表情が暗いと言われるし……」と、それだけ
で引いてしまうケースもあるでしょう。でも、お客様もさまざま。「明るい人」を「騒がしい」「軽薄」
と感じる場合もあるのです。性格は表裏一体のもの。「おとなしい」性格を「陰気」「冷静沈着」
のどちらに印象づけるかはアピール次第。
私は研修の際、「自己開示」を勧めています。「顔色が悪く元気がないようにみられますが、
実は風邪ひとつひいたことがありません」「一重瞼でキツク見えるかもしれませんが、怒ってい
るわけじゃありませんので」などと、気にしている部分をあけすけに語ってみるのです。マイナス
と受け取られる恐れのある部分を抑え込み、プラス面を発揮できれば、必ず、会社の求める
パーソナリティやキャラクターに近づきます。「見るからに明るいとは言えないけれど、決して暗
くない。むしろ、落ち着きがあって頼りになりそう」と思わせることは十分可能なのです。
服装や清潔感といった外面に気を配るのは求職者として当然ですが、それに加えて自分の
性格の良い面を打ち出していく戦略が重要。同じような人ばかりいる会社など見たことがあり
ません。個性をいい形で出せる人がどんな職場でも求められていると私は考えます。
NO.30(2007/06/01)
「叱り方」
女性管理職の増加により、同性や年長の男性部下を指導する際、叱り方に悩む女性が増え
ている。調査によれば、女性は男性に比べ「叱る行為」そのものに抵抗感がある人が多い。ま
た、「どう叱ったらよいか分からない」との声もある。
叱るのも指導と割り切り、「叱ったことは引きずらない」「メールでなく、相手の顔をみてコミュ
ニケーションをとる」といった工夫を凝らす必要がある。
(2007年1月22日/日経新聞夕刊「生活ワーキングウーマン」より)
記事の中に、「男性だと怒りっぽいのも個性のひとつと捉えられるが、女性の場合、『女だか
ら感情的』と女性全体に負のイメージがつくのを恐れて叱れないのも特徴」との指摘がありま
す。確かに、感情的な男性だと「もう、あの人は!」と個人の問題となり、女性だと「だから、女
は……」とオンナの資質にまで拡大解釈されがちです。しかし、部下指導も管理職の仕事のひ
とつで、避けて通るわけにはいきません。
方法として、マスコミでの露出も高い、日本IBMの専務執行役員・内永ゆか子氏が「簡潔に叱
る」ことを挙げています。「おかしいと思うこと、何故おかしいと思うか、どう改善してほしいか」
の三点を押さえて、淡々と注意するよう務めているそうです。
私自身、指導を仰がれる立場で仕事をしており、男女の区別より性格や資質の違いを考慮
し効果的に注意するよう心がけています。おとなしい人にズバリと言ってしまうと萎縮するし、デ
キル人ならクドクド言わず、ミスを明確に指摘し、何が問題なのかを示せばアタマで理解してく
れます。また、理屈を好む人には必ず筋道立てて攻めていくのが大事。こういう人は感情でな
く、理屈で納得します。
感情で怒っているのか、指導の一環として叱っているのかで「良い叱り方・悪い叱り方」が決
まるのではないでしょうか。一時の感情で怒鳴ったり、同じ内容なのに相手によって叱ったり、
叱らなかったり……、こういう上司のいい加減さを部下はしっかり見ています。また、言いにくい
ことをメールで済ます逃げの姿勢も禁物。文字として残る分、むしろ厄介で、フェース・ツゥ・フェ
ースのほうがよほど気持ちは伝わるし、しこりも残らないものです。叱るのも修行?
NO.29(2007/01/31)
「笑えない話」
上司が部下に、受付に書類が届いているか見てくるよう指示したところ、「届いていました」と
の報告だけで、肝心の書類は持ち帰っていない。部下曰く、「見て来いとだけ言われたので、
持って来ませんでした」。
(週刊『ダイヤモンド』2006/8/12・19合併号/「丸ごと一冊『「話し方』入門」より)
「笑えない話」は、「世代間で深刻化するコミュニケーションの壁」の小見出しの項目の具体例
として挙げられています。この話の感想は、真っ二つに分かれる気がします。
「届いていれば、持ち帰るのが当たり前。言うまでもないこと」「見て来いと確認だけ指示した
のは説明不足。届いていたら持って来い、とその後の行動まで念押しすべき」、と部下の気配
りのなさ、上司の舌足らずさのどちらかに批判の目が向くのではないでしょうか。
私の考えは後者。コミュニケーション力不足が問題視される現代社会で、阿吽の呼吸を部下
に求めるのは危険です。「言ったつもり」「聞いてない」で済む話と済まない話があり、ビジネス
の現場では、多大な不利益をもたらすことが考えられますし、日常生活においても、人間関係
に支障をきたす要因になり得ます。
「話し方」の出発点は、「相手の理解力を量る」ことにあります。最近、「言語が違う」と離婚会
見で語った元・女子アナがいましたが、まさにそれ。相手のレベルを考慮せず話をすれば、聞
く立場の人間にとっては見知らぬ外国語に等しいはず。前述の例も、相手の能力を見極める
までは、きっちり指示を完結させる「ひと手間」をかけるべきでした。
「ちょっと、余計かな?くどいかな?」と思ったら、言わないでおくより言いましょう。仮に、相手
が、「そんなこと分かってる」という態度なら次回から省略すればいいし、素直に従う人間なら、
徐々に「こういう場合は言われなくても、あれば持って来ましょうか?と気を利かせなくてはなら
ないんだな」と理解を深めていくでしょう。「笑えない話」の蓄積が、人間関係において致命的な
溝を生む要因となることを理解しなくてはなりません。
N0.28(2006/08/15)
「ヒューマンスキル」
女性の再就職には「35歳の壁」があり、高学歴・高職歴の人でも年齢のハンディは大きく、
面接の機会さえ与えられない過酷な現実がある。現在、主婦の中には自信を失い、自分は何
もできないと思い悩んでいる人もいるが、どんな仕事や職場でも最も重要なのはヒューマンス
キル。パソコンスキルや資格は二の次。ヒューマンスキルさえあれば、必ず活躍の場がある。
(『プレジデント』2006・7・3号/「苛烈!女40歳のハローワーク」より)
文中の「ヒューマンスキル」とはコミュニケーション能力のこと。かつて華やかに仕事をしてい
た女性でも、いったん結婚・出産・育児でビジネスの第一線を退くと、なかなか復帰は難しいよ
うです。しかし、記事には心強い経営者の声も紹介されています。
「中高年主婦に決定的に欠けているのは第一印象の見せ方・工夫」で、服装・姿勢・表情に
無頓着な人が多いことを指摘し、「どれほど能力が高くても、こういう人がいると会社が明るくな
りそうという人しか採用されない」と手厳しい言葉を並べています。
でも、これは、裏を返せば、現時点で実践的スキルがなくても素敵な第一印象を演出できれ
ば採用の可能性が大いにあるということです。もちろん、面接段階までたどり着くのが至難の
技ですが、これについても、「パートでも何でも、やれるところから始めること」と、最初の一歩を
踏み出す勇気をもつよう勧めています。
今、話題の一部上場企業・ブックオフの新社長も、「パートのおばちゃん」からのスタート。そ
の人柄が周囲の絶大な信頼を得て、数年後に最高の地位にまで上りつめたという素晴らしい
実例を見れば、先の提言が決して絵空事でも気休めでもないのが分かります。
たとえ、企業社会に身を置いていなくても女性はあちこちでヒューマンスキルを磨く機会に恵
まれていると言えないでしょうか。子育て、PTA、ご近所付き合い、嫁姑問題等々、軽やかに複
雑な人間関係を維持している人なら、多少ブランクがあっても仕事を開始すればすぐに慣れま
す。記事の中でも、40歳以上の女性にはそんなスキルを備えている人が多いと経営者たちが
認めているのです。あとは、それをうまくアピールするだけ。再就職計画中の女性の皆さん、め
げずに自信をもってチャンスのカケラにでも喰らいついていきましょう。必ず、途は開けます。
N0.27(2006/07/01)
「相手との境界線の置き方」
派遣社員のA子さんが人間関係に自信をもてないのは、新しい職場で親切にしてくれる人に
出会っても、なぜか必ず後から上手くいかなくなるせい。相手に理想を求めても全て期待どお
りにいくとは限らない。相手を過度に理想化せず、距離を置くことの大切さを助言した。
(2006年4月12日/日経新聞夕刊「こころのサプリメント」より)
臨床心理士の筆者が診察した患者の悩みと処方箋を記すコーナーで、記事タイトルは「期待
し過ぎない人間関係」。就職や進学、転居等で新しい人間関係に飛び込む時、不安そうにして
いる自分に優しくしてくれた人にベッタリなついて、結果的に関係が破綻するのはよくあるパタ
ーン。最初は盲目的に「この人は親切ないい人だ」と多大な好感を抱き、付き合っていくうちに
相手との思いにギャップが生じ、やがて決裂……という流れになるわけです。
なぜ、そうなるのか。私は、振り子の揺れ幅が大きいからだと思います。「こんな素晴らしい
人と出会えて嬉しい!」と思いっきりプラス方向に振れた気持ちは、何か問題が起こって押し
戻される時、反動で大きく反対に振り戻します。最初から、わずかしか振れてなければ、同じ力
でマイナス方向に揺れても大した衝撃はありません。膨らみすぎた風船はちょっとつつくと、容
易に破裂するのに似ています。
一方的な思い込みは相手にとっても自分にも危険なもの。相手をよく知らないうちから全てを
さらけ出して親愛の情を露わにすると、それを負担に感じる人もいます。大人なら、先ず、相手
との関係を冷静に眺め、距離を測りながら境界線を引く慎重さも必要ではないでしょうか。「境
界線を置く」というと何となくよそよそしい印象もありますが、特に仕事が絡む人間関係におい
ては重要なポイントです。記事にも「人間関係には相手との境界線をどこに置くかという課題が
常につきまとう」と指摘されてます。
相手の引いた境界線を察することなく、ズカズカ踏み込んでいけば、たとえ好意からであって
も無神経な人と敬遠される場合もあるし、反対に、境界線を頑なに守り過ぎて、いつまで経って
も周囲と打ち解けられないこともあるでしょう。そんな失敗を次の関係を円滑に築くための材料
にしていければ、A子さんのように職場を渡り歩き、自身も深く傷つく不毛に陥ることもありませ
ん。 社会生活を営んでいる限り決して逃れられない人間関係。「学習」は大切です。
NO.26(2006/04/30)
「上目線(うえめせん)」
「上目線」という若者言葉があって、年上や同輩に冗談半分に向けるのが流行らしい。上目
遣いと逆で、高い位置から見下ろすのが上目線。仲間内での態度と同じように目上の者に接
する若者は昔もいたが、今はそれを直してやる人がいなくなった。上目線を浴びて注意する勇
気は自分にもない。
(2006年3月1日/日経新聞夕刊「おじさんは怒っているぞ」より)
記事の見出しは「頭にくる上目線」。初めて聞く言葉ですが、上目線を使う人にはどうやら含
みがあるようです。頼みごとを断る時などに、「あなたは尊敬できません」という内心を上目線
にこめているとか。私は、上目線で見られたと感じた経験はないのですが、もし、向けられたら
不愉快でしょうし、自分はしないように普段から心がけています。
例えば、上司と話すとき、相手は椅子に座っている場合が多いため、正面に立たない、距離
を置く、など。相手の机正面でなく、斜め横に立ち位置を定めるのはビジネスマナーでは基本。
相手を見下ろす雰囲気になるのを、これで、やや外すわけです。また、接近しすぎると、恋人
同士でもない限り、自分の空間を侵され落ち着かない気分になるため、相手との適度な距離
を保つのも初歩的な礼儀です。
そういう基本的振る舞いは、やはり、気がついた上司・先輩が勇気を奮って注意すべきでしょ
う。「勇気」とは、「愛情」に通じるもの。相手に対して、もっと成長してほしいと期待する気持ち
や目上の者として温かく見守る心があれば、臆することなく注意できるはず。そういう注意は感
情的にならず、筋が通っているので相手も聞く耳をもちます。
文中、懇親会に部下を誘った上司が、上目線でサッカーの練習を理由に断られ、「参加させ
ていただきたいのですが……、という一言があればねぇ」とぼやいている例があります。しか
し、あとから他人に愚痴をこぼすくらいなら何故、その場で穏やかに「そういう場合は、クッショ
ン言葉としてこういう表現をするのが社会人ってものだよ」と諭さなかったのでしょう。
「怒る」と「叱る」は違います。感情でものを言えば、「怒る」だけで相手に心は通じませんが、
「叱咤激励」の言葉もあるように励ましの気持ちをもって「叱る」のであれば、たとえその時、理
解は得られなくても必ず分かってくれる時がくるはずです。怒ってばかりでは反感を買うだけだ
し、陰口をたたいているだけでは「若き異星人(文中の表現)」は増殖するばかり。大人なら、も
っと自信と愛情をもって若い世代に接しなくてはならない気がします。
NO.25(2006/03/15)
「紳士・淑女のサービスとは」
リッツ・カールトン・ホテルのクレド(信条)では「お客様へお約束したサービスを提供する上
で、紳士・淑女こそが最も大切な資源です」と謳っている。モットーは、「紳士淑女にお仕えする
我々も紳士淑女です」。
従来のように客が上、従業員が下という関係ではお客様とのコミュニケーションは取れず、人
間対人間の信頼関係を築くのは難しい。召使のように受動的に働くのではなく、客と同じ目線
でサービスをするために、従業員も堂々とした立ち居振る舞い・豊かな感性を身につける必要
がある。
(高野登著・かんき出版刊/『サービスを超える瞬間』より)
ザ・リッツ・カールトン・ホテル日本支社長の著者は、各方面から講演依頼が殺到する人物。
この本もビジネス本でありながら、感動させずにはおかない素敵なエピソードが満載で、読後、
清々しい気分になる内容です。ホテル横に無断駐車していた車をレッカー移動されて青くなっ
ているのを見つけた従業員が客でもない相手を押収先まで自分の車で送り、引き取り費用ま
でも立て替えた話。結婚記念日に宿泊するつもりでホテルまで行ったものの、自宅で事件があ
りキャンセルした客の家へその日のうちにシャンパンを届けた話。プロポーズの手伝いから盗
難カードの後始末まで、「ここまでやるか?」という実話のオンパレード。
これらは全て現場の一従業員がその場で考え、実行したこと。彼らには1日2千ドルの決済
権があり、思いついたら迷わず実行できるよう認められているのですが、会社が従業員を信
頼・尊重してなければできることではありません。「自分は単なる従業員、金持ちの客とは立場
も考え方も違うのだから求められる仕事を確実にこなせばいい」という気持ちでは紳士淑女の
目線はいつまでたっても備わらないということでしょう。
ありきたりのサービスのちょっと上をいく程度では、感謝はされても感動は生まれません。客
は「ここまで自分の立場を考えてくれるとは、何て素晴らしいホテルだ」と感動した時、相手に
対して敬意さえ抱き、信頼を覚え「また来たい!」とファンになるのです。「感動は最高のおもて
なしのひとつ」との筆者の言葉には、事実がもつ強い説得力がありました。もてなしの心、ホス
ピタリティは全ての人間関係に有効に働く特効薬のようなものかもしれません。
NO.24(2006/02/04)
「頭のクセと心のクセ」
話しながら思考を深めていくタイプの上司は沈黙思考の部下に対して思考パターンの違いか
ら、「知恵が出てこない」「面白みがない」と評価が厳しくなることがある。自分の思考パターンを
前提に他人を評価するクセがあると自身の飛躍の妨げとなることが多い。異なるタイプの人と
うまく協働できなければチームを率いることはできないから。
このクセから抜け出すには自分の「頭のクセ」と、違うタイプと接した時に起こる「心のクセ」を
客観的に理解することだ。
(2005年12月22日/日経産業新聞・「部長講座」より)
「なくて七癖」、誰にでもある癖をアタマとココロに分けた観点がユニークです。記事を読んで
残業への考え方も上司によりそれぞれだと思い起こしました。会社に居る時間の長短で仕事
への貢献度を測るタイプ。かたや、時間内に仕事をやり遂げる効率性と合理性こそ評価に値
すると考えるタイプ。前者の上司についた部下は、どんなに有能でもサッサと帰宅すれば「やる
気が足りない、会社への忠誠心が感じられない」と低い評価を受ける恐れがあります。また、
後者だと残業ばかりしている部下が残業手当て目あてに無意味な居残りをしていると疑心暗
鬼になるかもしれません。
自分の「頭のクセ」に捉われると、正当な評価を誤る可能性があります。「今日の仕事は終わ
ったが、部下が帰るまで何が起こるか分からないので一緒に残る」という情緒的思考型上司の
下に合理主義の部下がついた時に生じる葛藤が「心のクセ」。その苛立ちとどう向かい合うか
が重要です。人間は、同じ考え方の人には親近感を抱き、反対の人には警戒心や不安感をも
ちやすいもの。その時感じるストレートな感情を行動に表す前に一呼吸おく余裕が大切だと思
われます。「待てよ?彼は全ての担当業務を終えているし専門的な勉強もしていると聞く。今は
会社から離れてもプロとしての腕を磨く必要のある時代だからむしろ意欲的な奴だ」という具合
に自分と同化させずに評価してこそ、真に有能な部下に恵まれて自分も助かることでしょう。
異なる考えも先ずは受け入れてみる、そこから公正な評価を下す。「言うは易く行なうは難し」
の典型です。かく言う私も効率至上主義者。連日ダラダラ残業をする社員には、つい冷ややか
な視線を送りがちです。頭のクセも心のクセも分かっているのですが、なかなか……。
NO.23(2006/01/01)
「謝り上手」
謝罪は会社や日常生活を円滑に営む上で必要なコミュニケーション技術のひとつ。謝罪とは
心理学でいう「役割行動」の「割り切り」である。謝ることで相手と良い関係をつくるほうが無難
と割り切って自分を納得させる行為。
方法としては、「相手を立てる」「自分を下げる」迎合行動がある。相手の長所を見つけ羨まし
く思っていることを伝える「お世辞」や、相手が自分にはない能力を備え、その力がなければ目
標を達成できないと表すことで、「とりあえず謝っている」といった印象を相手に与えず謝罪が
受け入れられやすくなる。どちらもやり過ぎると卑屈だが、普段から人付き合いの中でよく使っ
ているはずの馴染み深い手法である。
(2005年10月27日/日経産業新聞・「仕事上での上手な謝り方」より)
うまく謝罪できれば、ちょっとした感情の行き違いが複雑な問題に発展するのを防げるはず
なのに謝り下手な人が増えているように感じます。謝りたくない心理の根底には筋違いのプラ
イドがあるのではないでしょうか。文中、「腰が低く謝り上手な人はむしろ自尊心が高い。譲れ
ない信念をもち、目的達成のためには気楽に謝ることができるから」との心理学者の分析には
同感です。絶対に謝らない・折れないとの姿勢を貫き通すべき時は一歩も譲らぬ気迫が必要
ですが、電車内でうっかり足を踏んでしまったなんて場合には、謝るのが当然の礼儀。「混んで
いるから仕方ない、わざと踏んだわけじゃない」などと逆ギレしている光景を見かけると無関係
の者まで不愉快になりませんか。
記事では、謝罪の際には先ず聞き役に徹し、相手が何に対して怒っているか見極める「洞
察」と相手にしゃべらせることでスッキリしてもらう「浄化」をポイントとして挙げています。ピント
外れな謝罪は怒りの炎に油を注ぐことになりかねず、相手の心理状態を量るのは重要です。
洞察・浄化のあとで適切なお世辞も若干加えて謝れば、必ず怒りも収まるはず。
筆者はさらに「贈答行為」にも言及し、「必要以上に高いモノだと警戒され逆効果だが、手土
産的なささやかな贈り物を渡すことで会話のきっかけをつかみ、その際に謝ることもできる」と
贈答の効用を説いています。これも、お世辞同様、「あなたを気にかけています」とのサインで
す。お世辞や贈答を単なる媚び・迎合と捉えず、自分の目的・目標達成に有効な処世術のひと
つとしてのスキルと考えてみてはいかがでしょう。守るべき信念がないまま「誇り」の意味をはき
違えヘンな虚勢をはっている、そんなふうにはなりたくないものです。
NO.22(2005/10/31)
「コーチング」
コーチングとは部下の潜在能力を引き出し、やる気を高めるためのコミュニケーション技
術。ポイントは、「相手に見つけさせる」「相手に応じて動機付けの仕方を考える」「相手に継続
してエネルギーを与え続ける」の3点。
答えを与えるだけでは、受身で自発性に欠ける部下になる恐れがある。褒め方ひとつとって
も相手に最適な方法を個別に考える。部下のエネルギー低下を感じたら上げるよう行動する。
こういった留意点を意識して部下を育成するのが「良いコーチ」である。
(みずほ総合研究所・フォーラムエム「マネジメント・フラッシュ」2005/9/26号より)
近年、「コーチング」を部下育成に導入している企業が増えていますが、その語源はスポーツ
の世界にあるそうです。一流アスリートを育てたコーチたちのコミュニケーション方法を分析し、
ビジネスの世界に応用したものが「コーチング」。
記事には、縦軸・横軸を中心に4つの領域に分けたバランス図が載っています。縦軸は「仕
事上のリスク」、横軸は「部下の能力」。上下左右に「「教える」「一緒に考える」領域が広がり、
下方左右には「考えさせる」「任せる」領域があります。仮に、困難で失敗の許されない仕事を
能力の低い部下に「君に任せた。一人で考えて自由にやってよし」と丸投げすれば、不当な重
責に耐えかねて潰れてしまうでしょう。反対に、能力が高い部下に対して簡単な仕事にもいち
いち口をはさみ、自由な発想を妨げれば労働意欲を削ぐことに。良いコーチになるには、この
兼ね合いをどう取るか、取れるかが重要です。
冒頭3つのポイントに共通するのは、「他者観察」。部下の能力や置かれている状況を正しく
把握できなければ、答えを探るための道しるべも示してやれないし、モチベーションを高める手
立ても見つかりません。まして、やる気の失せた部下にエネルギーを注入するなど不可能で
す。
文中、「優秀なコーチは相手のエネルギーレベルに敏感」とありますが、この先がまた難関。
気力が落ちていると感じても、相手はじっくり話を聞いてもらいたいタイプなのか、どんな言葉を
かけられたいのか、と思案に苦しむところです。良いコーチ(上司)になるのは良い部下になる
より数段厳しいのだと改めて実感させられます。
NO.21(2005/10/02)
「頑張れは禁句?」
日本産業カウンセラー協会がまとめた、「困った人から相談を受けた場合の良くない受け答
え事例集」によると、「激励するな」「助言するな」「他言するな」「反論するな」「過信するな」の5
つがカウンセリングのキーワードとなるそうだ。
辛い思いを抱く人にとって大事なのは、励まされることでなく誰かに話を聞いてもらうこと。助
言も「命令」と受け取られることがあるので、相手に気づかせる方向で。また、「他言しない」と
言いながら「自分に任せろ」とばかりに関係者に話して回るのは情報を漏らしていることに。反
論もしていけないわけでなく、相手に自分の考えを出し切らせた後にする。最後に、カウンセラ
ーとしての己の力を過信せず、病気では?と思ったら、医療機関へ任せる見極めも重要。
(2005年9月6日/日経産業新聞・「それ言っちゃダメ」より)
最近、「頑張って」という言葉の分が悪いようです。人によっては「これ以上、頑張れというの
か」と反感さえ抱くこともあるとか。確かに、口先だけの激励の言葉をかけても相手の心に響く
はずはありません。ただ、専門家の出した結論だから正しいのでしょうが、5つのキーワードの
うち、「励ますな」には疑問もあります。
私はカウンセラー資格をもっていないし、今後取る気もありません。カウンセラーになって人
様の役に立とうなど、大それたことに思えるから。あくまで個人的な感覚ですが、「何でも相談し
て」と言う人ほど信用できません。「相談したい」と思える人に話を聞いてもらいたいというのが
正直な気持ちです。記事も「相談をもちかけたくなる人になろうとする意識が大切」としめくくっ
ていますが、全く同感です。
「相談したい人」からなら、むしろ励ましの言葉は嬉しいもの。自分を認め信じてくれた上での
「頑張って」なら、「承認願望」も満たされます。「そうなんだ〜」と追認されるだけでは「頑張って
もしようがないよね。能力ないんだもん。これで打ち止め、お気の毒」と見切られている気にも
なります。もちろん、そうは思わない人もいるでしょう。つまり、感じ方・受け止め方は相手や状
況によって変わるのですから、一律に「禁句」を作ってしまうのは危険な気がするのです。
人は苦しんでいるとき、相手にどうして欲しいというわけでもなく、ただ話したい、聞いて欲しい
という気分になることがあり、その心の内では、既に自分なりの回答をもっている、とはよく言
われていることです。あとはそれを実行するか否か。この部分は決して他者に手助けできるも
のではありません。頑張りすぎている人には、「あまり頑張って無理し過ぎないようにね」と言っ
てあげるのも時として効果的かもしれませんね。
NO.20(2005/09/15)
「ジェロントロジー」
2025年には4人に1人が65歳以上の超高齢社会となる日本だが、この国には長生きを素
直に喜べない現実がある。医療技術や社会保障は世界と比較しても手厚いものの、必ずしも
個人にとっての幸せに直結していない。物質的に満たされていても個人の生きがいや満足度
をサポートするシステムに関し、国は未だ暗中模索状態。
米国では、高齢者の人間としての可能性や高齢社会のあるべき仕組みを総合的に追求した
知識体系があり、それを「ジェロントロジー」という。ジェロントロジーを学んだ人は「ジェロントロ
ジスト」と呼ばれ、、行政機関での政策立案、医療福祉分野での相談業務、企業での商品開
発・マーケティングなど、幅広い分野で活躍しており、広く一般に知られている。
(『ニッセイ基礎研究所レポート』2005年6月号/「ジェロントロジーが創る豊かな長寿社会」より)
週刊誌や新聞のちょっとした人物紹介記事にも必ず年齢表記があるのは日本だけだと聞い
たことがあります。米国ではエイジ・ハラスメントとなり、履歴書にさえ記入しないといいますから
正反対。それなのに、日本人は最も齢を気にする民族でありながら、高齢社会に無策なのは
何だか合点がいきません。
記事では、最長寿国であり、高齢国家である日本でこそ、ジェロントロジーを学び、具現化す
ることが策の一つになると提唱しています。「ジェロントロジーにはものごとの見方や価値観を
変化させる力がある。価値観が変われば、人の接し方、働き方、社会のあり方まで様々な変
革が可能」との説には大いに共鳴しました。
最近、どうも世代間の関係がギスギスしているのも知識不足が要因のひとつではないでしょう
か。若い世代が「自分達は損をしている。なぜなら、将来、年金がもらえないから」などと不満
を漏らすのに反論もしない、今の日本の担い手たち。これでは、お年寄りは居たたまれませ
ん。現在の豊かな日本を築いたのは、まぎれもなく戦後の復興のために個人の幸せを二の次
にして働いた現時点での高齢者。その中には、進学もせず15歳前後で過酷な肉体労働に従
事した人たちも多く含まれるでしょう。その堅固な土台があってこその、今現在。
人間社会は相互扶助の精神で成り立っています。1人で生きていけるわけでも金儲けができ
るわけでもありません。誰もが誰かに頼り頼られ、社会を構成しているわけです。今、豊かに
暮らせるのは先人のお陰と思えば、利益や労力を社会に還元するのは一種の義務であると理
解できるはず。ジェロントロジーを学び、誰もが生きている限り必ず行き着く「高齢者」が「真に
幸福に暮らせる社会」について、自分自身の問題として考えていきたいものです。
NO.19(2005/06/30)
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「オレ様夫、増殖中」
夫・父としての役割の大半を放棄する「未熟な夫」をカウンセリングの現場でよく目にする。彼
らは妻子とのコミュニケーションを拒絶し、家庭崩壊も恐れぬ様子だが、ほぼ例外なくきちんと
働き、職場の人間関係にも問題はない。仕事社会でのコミュニケーションはこなせるが、心の
芯で行き交う家庭内コミュニケーションは億劫がる。外の世界で一人前なら家では多少、我儘
でも許されると自己中心的。
コミュニケーションとは、相手の事情や都合に深く配慮し対応できる能力のこと。生身のコミ
ュニケーションを疎ましがるのは人間として未熟ということになる。
(2005年4月16日/日経新聞夕刊・「生活 ファミリー」より)
『未熟な夫』という本を出版した心理カウンセラーの筆者・山崎雅保氏は、「おれ様夫」「わが
まま夫」の増加が離婚の温床となっていると指摘しています。長年、自分本位で家族を顧みな
かったのに退職を機に急に仲良くやろうとしても、企業社会で鍛え上げてきたはずのコミュニ
ケーションスキルは家庭や地域社会では通用せず、離婚されて孤独な末路を迎えるケースも
あるそうです。いわゆる「熟年離婚」の原因は、こんなところにもあるのかもしれません。
とことん相手と向き合い関係改善に努めることをせず、意思疎通が無理となると財力や過去
のステータスで妻子やご近所を牛耳ろうとする人も多いそうで、これでは「こんな人とは付き合
いきれない」と見放されても自業自得。
仕事の付き合いは「利潤追求」という明確な共通目的があるため、気に入らない相手でも利
益のためには努力して関わっていかなくてはなりません。ただ、広い意味では皆、持ちつ持た
れつの関係である以上、互いに譲歩したり駆け引きが絡み、意外に落としどころも探しやすい
もの。しかし、家族となるともっとドロドロと人間臭く綺麗ごとでは済みません。それが、筆者の
言う「生身のコミュニケーション」なのでしょう。
「家族すら上手くコントロールできない者に会社での重責を担えるか」との叱咤をよく耳にしま
すが、実は「おれ様夫」達は会社の人間関係の波は割りと容易に泳ぎきり、家庭の荒波には
飛び込もうともせず、仕事を言い訳に岸壁から眺めているだけというやり方で長年生きてきた
のではないでしょうか。そんな男達は仕事から離れたら一体、どこに行き着くのでしょう……。
NO.18(2005/04/30)
「オープンハート」
大相撲立行事・二十二代木村庄之助を父にもつ泉雄介氏が営む和菓子屋「庄之助」の女将
幸江氏は日々の接客の中、人間対応力という最高のビジネススキルで客を癒す名人。土産に
迷う客のつぶやきにさり気なく、しかし、的確にアドバイス。客を待たせないよう予め箱詰を用
意しているが、「新たにお詰めしましょうか」と気を配る。つり銭を渡す際も「お手渡しで失礼しま
す」と一言添える。
女将はオープンハートで自分のみならず相手の心もうまく開くことができる人。男性会社員の
客が多いが、相手が大企業の社長や著名人でも垣根がない。彼女のスキルは人の心を和ま
せ元気にしてくれる。
(2005年2月16日/日経流通新聞・「なぜなぜ繁盛記」より)
最中で有名な「庄之助」のゴマ大福は甘党でない私も大好物。何度か足を運んだことがあり
ますが、正直ところ特別、接客が素晴らしいとか忘れがたいといった印象はありません。しかし
老舗にも関わらず入りやすい庶民的な雰囲気で大福2個だけでも気軽に買えます。実は、これ
が重要なポイントなのかもしれません。
至れり尽くせりの接客で感じは良いけれど、あの店に行くにはキチンとした恰好でなければ
行けない、僅かな数だけ買うのは恥ずかしいなどと相手に少しでも構える気持ちを抱かせるな
ら、それは客に負担を強いることになります。また、客の要望は色々です。丁寧に接してほし
い、ビジネスライクにテキパキやってくれればよい、あまり話しかけられたくない、しかも、いち
いち口に出しては言いません。こうなると全ての客の潜在的要求に応えるのは不可能ですが、
最大公約数を満たす接客方法はあるはず。
「庄之助」の女将は、でしゃばるわけではないけれど、迷っている人には具体的に助言する
し、効率重視に偏らず、あくまで客の希望を優先しているのが記事の例から読み取れます。箱
詰めは出来立ての商品ではないのでは?といった客の危惧にも先回り。丁寧すぎて敷居の高
い雰囲気を漂わせないためか、つり銭は手渡ししても、「手渡しは略式で盆につり銭を載せて
出すのが正式マナー」と知っているのをうかがわせる一言を添えるなど、実に巧み。
客自身、気づかないような僅かな疑念・不満・躊躇・遠慮といったマイナスの感情を取り払う
女将はまさに人間対応力の達人。「構えない」でいいというのは、それだけで人の心を解き放
ち穏やかにしてくれます。簡単そうで難しいオープンハートの効力です。
NO.17(2005/02/28)
「大工の言葉」
ピーター・ドラッカー著『エッセンシャル・マネジメント』の中に、「大工と話すときは大工の言葉
を使え」というソクラテスの言葉が引用されている。コミュニケーションは受け手の言葉を用い
なければ成立しない。「受け手の言葉」とは「受け手の経験に基づいた言葉」の意。
コミュニケーションを成立させるのは、話し手ではなく、話し手は発するだけ。そこに聴く者が
存在しなければ成り立たない。
(『週刊ダイヤモンド』2005・2・5号/上田惇生氏「3分間ドラッカー」より)
筆者は文中、「階層毎にものの見方があって当然だが、その見方が階層によってあまりに違
うため同じことを話していても気づかないことが多い」と対話の難しさに触れています。確かに、
私たちの日常において、同じ話題を取り上げているはずなのに全く話がかみ合わない、相手
が何を言っているのか理解できない場面があります。そうなると、もう相手の話を聞く気は失せ
同じ時間と空間を共有していながら別のことを考えている「同床異夢」状態。実に空疎です。
「大工の言葉」とはすなわち、相手の立場に立って考えながら話を進めることではないでしょう
か。例えば、ビジネスの場でありがちなのが業界用語や横文字の乱用。少し考えてみれば、そ
れは仲間内だけで通用する符丁のようなものであり、社外ではできるだけ平易で理解されやす
い言葉を用いるのが当然だと分かるはず。そうした気配り・目配りなしにビジネスを成功させら
れるはずがありません。
かなり以前、20年以上も第一線で活躍を続けるシンガーソングライターの松任谷由実のイン
タビュー記事を読みました。素敵な歌詞が売り物の彼女は、いわゆる「流行語」はできるだけ
使わないようにしているそうです。安易に流行り言葉を用いれば、その時代の共感は一時的に
得られても、時間の経過と共に野暮ったくなったり、理解できない世代が生まれたり、と永く歌
い継がれるのは難しいでしょう。長いスパンで自分の活動を考え、何年経っても色褪せない言
葉を七転八倒しながらもつむぎ出す底力が彼女の息の長いアーティスト生活の根拠。
ビジネスに限らず、「聴かせる言葉」を常に意識しながら会話を楽しみたいものです。
NO.16(2005/02/14)
「無抵抗・不服従」
大手広告代理店・博報堂の分析によると、社会のルール・常識が自由になるつれて個人の
コミュニケーションの負担は増加しているという。その負担に対応するやり方として、世間一般
のルールや常識を自分なりの判断基準で測りなおして負担を軽減する方法と、自分の内面世
界の関心事にだけ目を向けて外部とのコミュニケーションを閉ざすという二層的なコミュニケー
ションのあり方が現代の若者にみられる特徴だと結論づけている。
若者とそれ以前の世代との分岐点は72年生まれ前後を指す。この世代の特徴は「人はどん
なに話し合っても分かり合えない」という考え方をもつ点で、それは「無抵抗・不服従」の行動と
なって表れている。
(『アゴラ』2005年1月号/「ビジネストレンド」より)
記事では、「若者」以前の世代には歴然と「本音と建前」が存在し、彼らは自分の思う真実と
世間の事実は異なることを承知して生きてきたと指摘しています。また、「本音と建前」がうまく
機能していたのは、世間一般の常識やマナーといった共通の約束事が緩衝地帯となっていた
からだとも分析しています。日々、生活しているとタテマエと言いつつも簡単に割り切れない事
柄は多々あるはず。承服できない、唯々諾々と従いたくないと不満を抱いていても「これは慣
習だから」「みんな、やっている」「そういうものだ」といった言い訳があれば、無理やり自分を納
得させるのに役立つでしょう。
世間共通の約束事という概念が希薄になるというのは、その都度、自分の責任において判
断・行動していくことを意味します。社会通念を自分なりに咀嚼して他者とコミュニケーションを
とろうとするのは素晴らしいことですが、その判断基準があまりに周囲とズレているとせっかく
の努力も報われず、単なる身勝手・勘違い野郎と呆れられるだけかもしれません。さらにもう
一方のコミュニケーション拒絶型に至っては、交流の糸口さえ見出せないでしょう。私見ですが
「逆らわず、でも、従わず」といった傾向は近年、若者世代に限らず、さらに上の年齢層にも確
実に浸透しているように感じます。
共通のお約束事は、やはりある程度存在するほうが摩擦は少ないはず。ただ、時代はドラス
ティックに変化しているのに旧来の常識・マナーがいつまでも幅を利かせていられるはずはあ
りません。新しい時代に即した緩衝地帯が生まれるように、今の時代に生きる私たちがコミュ
ニケーションを交わす中で試行錯誤しながら練り上げていくしか方法はないのでしょう。
NO.15(2005/01/21)
「微妙な失礼」
最近、言葉による微妙な「失礼」が増えて困惑している。電話取材の後に「この話、適当にま
とめます」、プロフィールが必要だと言われ送ろうとすると「その辺(筆者のHP)から適当に拾い
ます」、本を出していると知った仕事関係者から「本を書いている?へー、大したもんじゃないで
すか」等々。他に、お礼の代わりに「お疲れさま」と言われることも多く、変な気分。
明らかな言葉の間違いに比べ、この種の修正はしづらい。言葉自体が失礼なのではないた
め、「この場合、その用語は相手に対して失礼」な微妙におかしな言い回しは当人が気づいて
いないだけに注意できないままでいる。
(2004年11月27日/日経新聞夕刊・「快適くらし予報」より)
少し、言葉にこだわりのある人なら記事と同様の経験があるのではないでしょうか。私も新人
教育研修で担当した女性とその後、仕事で関わる機会があった際、「研修の時はお世話にな
りました。すごい分かりやすい講義で皆と一体、何者?って言い合ってたんですよ」と褒められ
たのには何と返してよいものやら困った記憶があります。
文中、筆者が引用した例がなぜ不適切なのか、お分かりでしょうか。せっかく話してもらった
内容を「適当(いい加減と取れる)」に処理する無礼。クリエーターである筆者のHPに対して「そ
の辺」という尊敬の念に欠けた言い方。自分が偉いわけでもなく、仕事をお願いする立場であ
りながら「大したもの」という上司が部下を褒めるかのような表現。
引用例のどれもが相手に対する配慮が欠けていると取られかねない言葉遣い。私の場合も
新人女性が「先生」である目上の人を褒める行為自体、不要なことですし、「何者」との言葉も
不適切。双方の立場・状況が変われば失礼でも何でもない言葉だからこそ難しく、慎重である
べきなのです。
無邪気に無防備に言葉を用いる人の多くは、意図的・確信犯的に相手を愚弄しよう、嫌味を
言ってやろう、見下してやろうなどとは微塵も考えていないため、受け手もつい放置しがちで
す。しかし、誰からも指摘されずにところ構わず「結果的に失礼なもの言い」をしていると、言葉
を知らない「頭の悪い人」、果ては「礼儀知らず」「無礼者」の評価が定着してしまいます。
たとえ敬語はうまく使えなくても、相手に対して敬意や感謝の念を表す場合は、相手と自分の
立場の違いや距離を計りながら言葉選びをしたいもの。そのためには、身近で上司や年配者
の受けが良い人の話し言葉を注意深く観察するのが一番の勉強になるでしょう。
NO.14(2004/12/04)
「低下する聞く能力」
「日本人はコミュニケーション下手」とよく言われるが、そもそも話を聞く能力が低下している
のではないか。聞くことは全てのコミュニケーションの始まりなのに、調査すると「相手の話に興
味がなく聞く気になれない」との回答が目立つ。
職場でも、マニュアルどおりの応対ならできるが、想定外のことを言われると、言葉につまり
若い世代のオペレーターの定着率がよくないといった企業も。聞く力の低下要因としては、メー
ルなど相手の顔を見ない伝達手段が増えたことと近年の学校教育がスピーチなどの話す能力
の伸長に偏っている影響もある。
(2004年11月1日/日経新聞朝刊・「シグナル発見」より)
仕事で指示を出すと返事はするが、依頼どおりにやらない、できない場合でもこちらから尋ね
るまで報告してこない、一体何を聞いているのか!といった怒りをよく耳にします。これは、「聞
き返す」という相互意思確認が急速に失われていることの表れです。会話は言葉のキャッチボ
ール。聞いて返しての繰り返しで互いの理解が深まり、意思の疎通も滑らかにいくのですが、
「別にコミュニケーションなんかとれなくてもいい」と思っている人が実は意外に多いのです。自
分の仲間とだけうまくいっていれば、他の人は関係ないとの考えのようですが、果たしてそれで
本当に仲間内ではうまくいくのでしょうか。
ばしば目にする光景で、昨日まで非常に親しくしていた二人がある日を境に口もきかない冷
たい関係になり、周囲が一体何事があったのかと困惑するほどの状況に陥るケースがみられ
ます。コミュニケーション力を軽視していると些細なことで簡単に険悪な仲になり、お互い修復
する気力も能力もないまま付き合いの幅をどんどん狭くしてしまいます。
記事には、オペレーターの条件として、「相手の言い分をじっくり聞く根気と柔軟性が不可欠」
との指摘がありますが、これは仕事に限らず日常生活でもあてはまることでしょう。どんな相手
であれ、ひとたび会話の場面に立たされたらきちんと向き合って話を聞く努力が大切です。勿
論、気に入らない相手と無理に親しくする必要はありません。しかし、その場では最低限の礼
儀として聞く耳をもたねば、聞く力、ひいてはコミュニケーション力は伸ばせません。
嫌いな相手、気に食わない人、その場限りの関係であってもそつなくうまく流せるよう努力す
るのは一種の訓練。「聞く力」を養って友人との関係もハッピー、仕事も順調、となるように自分
自身を鍛え直すことを意識しなくてはならない時代になったようです。
NO.13(2004/11/03)
「出世の沙汰もコミュニケーション力次第?」
上司も人の子。好き嫌いが人事評価に影響するのは日常茶飯事。過去に、自分より能力の
劣る同僚が先に出世して納得のいかない経験をしたことがある。だが、今となっては当時の彼
女のほうが自分よりも「コミュニケーションのうまい人」であったと分かる。
上司に高く評価されるには礼儀正しくすること。忙しかったり、不愉快なことがあるとつい崩れ
てしまうが、心の内はどうあれ、常に上司として敬う形を示すことが大切。礼儀正しくしたうえで
職務をきちんと果たす。この二点を満たせば必ず上司に認められる。
(『プレジデント』2004・10・18号/「評価ガタ落ち『いまいち』な言葉と態度」より)
耳の痛い指摘です。一日の大半を過ごす職場は言わば日常生活の場。その場限りなら猫か
ぶりできても、毎日、常にとなると、なかなか難しいものがあります。
筆者は、仕事をするうえで「一緒に働く人とは楽しくコミュニケーションを通い合わせることが
大事」と説いています。「仕事さえできていればいいでしょう」という気持ちでいると、「仕事ので
きる人」にはなり得ず、結果的には出世も望めません。感情の起伏の激しい扱いにくい人とし
て、周囲に妙な気を遣わせたり、不快感を与えるようでは職場全体の業務効率の低下を招く
からです。
文中、円滑なコミュニケーション手段として、「ありがとう」という感謝の言葉、失敗したら言い
訳せず、素直に謝るといったごく普通の提言があります。効率追及が最優先事項になっている
最近の職場では、実は最も忘れられがちなことだというのです。
何事も勝ち負けで片付けてしまう近年の風潮の中、非を認めると負けになるとの変な思い込
みがあるようにも感じます。意地でも謝らない、という態度を貫くことで得られるものは何でしょ
う。「負けて勝つ」という言葉だってあるのです。
人間は感情の動物。ここは筆者の助言どおり、「ゴマすりでも媚でもなく、コミュニケーション
だと思えば、上司に対して自分から話しかける回数も増える」と割り切って、嫌い・苦手な上司
に対しても礼儀正しく、かつ若干の親しみを込めて接するが「勝ち」?
NO.12(2004/10/17)
「人前で話す経験で得られるもの」
大勢の人前で話すのは苦手で、自分の話にどれだけ興味を持ってもらえるか不安で講演は
苦手だった。私たちは不安なことがあると、ついそれを避けがちだが、それでは先に進めな
い。避けてしまったことで、ますます自信がなくなるから。仮に思ったようにいかなくても、次回
の注意点が見えてくる。それを繰り返すことで慣れ、負担感も少なくなる。
講演の場合、聴衆に支えられている感覚に随分助けられてきた。熱心に自分を見ている人
やうなずいている人たちに気づくと、自分が一方的に話していても、その場に心の交流が起き
ていると感じ、安心でき自信にもつながる。それが毎日の心のエネルギーにもなっている。
(2004年9月28日/日経新聞夕刊・「こころの健康学」より)
「プレゼンQ&A」にも載せていますが、人前で話すときは、自分に好意的なボディランゲージ
サインを発している人とアイコンタクトをとりながら気持ちを落ち着けていくと緊張感は和らぎま
す。うつむいたり、視線が宙をさまよっているとオドオドした印象を与え、聞き手に自信のなさが
伝わり、ますます聞いてもらえなくなります。
巧拙ではなく、誠意をもって実のある話をすれば、必ず聞き手は真剣に耳を傾けるもの。こ
れは講演やプレゼンに関わらず、1対1の会話でも同じです。相手の心理状態を推し量ること
ができず、高圧的にまくしたてても意思の疎通は図れません。反応を見ながら心を通わし、た
とえその場では一方だけが話していても、互いに理解しあえた感覚がもてるのは一種の快感
でしょう。これを筆者は「言葉にならないレベルでの心の交流」と表現しています。
「他者と分かりあえている」という安心感・自信は、複雑な人間関係に揉まれて日々生活する
自分の心を元気に保つ秘訣・活力にもなるでしょう。アガリ性の人は自分の誠実さ・感受性ゆ
えに緊張するのだと自己を肯定し、機会があれば、殻を破ってどんどん人前で話すことをお勧
めします。
NO.11(2004/10/09)
「性善説コミュニケーション」
革新のためのコミュニケーション術のポイントは、相手の波長にあわせて自分の気持ちを変
え、周囲の気持ちを振動させることにある。心の持ち方を先に変えてコミュニケーションをし、
成果が出たら声に出して相手を賞賛し自分の気持ちを表すとよい。
批判力の強い人より称賛する力の強い人のほうがコミュニケーション力は高い。称賛を受け
ると相手はさらに育っていき、自分の未知の世界を広げていこうとするだろう。これを「性善説
のコミュニケーション」という。
(2004年8月31日/日経産業新聞・「コミュニケーション術」より)
「人を変えるより自分を変えるほうが容易である」と以前、何かで読んで妙に納得した覚えが
あります。躍起になって相手を変えようとすればするほど、お互い頑なになり、関係が悪化する
ことは想像に難くありません。
同じ辛い思いをするなら、視点を変えて相手の良いところを見ようと努力するほうが案外、楽
かもしれません。どんな人でも、意識して美点を探せばゼロということはないでしょう。
先日、私は会社で非常に行儀が悪く評判の芳しくない女子社員が達筆であることを知りまし
た。祝儀袋を持ってきて「こういう内容で用意しました」と報告を受けた際、「最近、表書きので
きる人がいなくてデパートでも断られるのよね。社内にあなたのような字のうまい人がいると助
かるわ」と言うと、普段、無愛想で挨拶程度しかしない彼女が満面の笑みを浮かべ「子供の
頃、毛筆を習っていたんです」と話すではありませんか。そういう様子を見れば、こちらも悪い
気はしません。このようなことが続けば、徐々にお互いの距離感は縮んでいくでしょう。
ここで大事なのは褒め方。ただ、褒めればよいというのではなく、相手が納得する内容をタイ
ムリーに指摘しなければ「媚びてる」「馬鹿にしてる」と思われ、逆効果になりかねません。漫然
と美辞麗句を並べるなら言わないほうがマシ。
的確に褒めるためには、相手を肯定的な目で眺める必要があります。「こんな人に良いとこ
ろなんてあるはずない」「些細なことを褒めてやる必要なんてない」と決めつけて己の心を硬くし
ていては見えるものも見えてきません。
性善説に立って社会生活を送るのは、さて、難しいことでしょうか?
NO.10(2004/09/04)
「成果主義とマナーの関係は?」
ベンチャー企業といえば「成果主義」を連想するが、その弊害もあるようだ。若手社員が年長
の部下を呼び捨てにするなど、最低限の礼儀やマナーもなく荒んでいる会社が多い、と外資系
人事コンサルタント氏の弁。
業務上の指揮命令と人に接するマナーは別物。会社の仕事は人としての価値の全てではな
い。この区別ができていないことが、成果主義の暗い印象を深めている。
(2004年7月2日/日経産業新聞・眼光紙背「成果主義 マナー忘れ」より)
コラムの筆者が耳にした話を例に挙げ、成果主義を憂いています。こぞって礼賛していた風
潮が沈静化し、メディアでも成果主義の検証が始まっているようです。結果だけを求め評価す
ると、地味な研究分野はないがしろにされる、評価者が厳正な評価基準をもっているか怪しい
等々、批判は多々あります。しかし、何より「結果を出してるんだから、何をやっても言っても許
される」という嫌な雰囲気が醸成されるのが危ぶまれます。
コラムの筆者は「年功序列制度は実力のない上司が年上という理由だけで威張っているイメ
ージがつきまとい、成果主義の移行でその反動が出ているのでは」と推察していますが、役職
や実力が上だというだけで、部下の尊厳まで傷つけるような言動は年齢に関係なく慎むべきこ
と。人間として云々というだけでなく、営利団体である会社には致命傷となりかねません。理不
尽な上司の下で、誰が誠心誠意、仕事に励むでしょうか。
私自身は会社生活の中では、誰に対しても丁寧語で話すよう心がけています。たとえ部下の
ほうが年長だとしても、上位者が謙譲語や尊敬語を用いるのは妙ですし、逆に役職が下という
だけで年下の上司に必要以上にへりくだった物言いは卑屈だし、かえって嫌味。敬語の中でも
言葉の美しさを表す「丁寧語」は相手を選ばず、とても使い勝手が良いのです。
マナーや礼節は社会生活の基本中の基本。それすら守れなくて、厳しいビジネス社会で生き
残っていけるはずがありません。華々しく登場し、いつの間にか消えているベンチャー企業も
少なからずあるようです。
NO.9(2004/07/11)
「成功するプレゼンテーション」
プレゼン能力の重要性は近年、非常に注目されるようになった。プレゼンというとテクニカル
な方法論にとらわれがちだが、「誠実、嘘がない」といった本質的なことが最も重要。資料作成
術や雄弁術ではなく、「自信」と「人的ネットワークの拡大」を心がけてほしい。
事前準備を怠らず、自信をもって伝えたい内容を相手に披露しよう。多様な年齢層の人や外
国人と付き合い、多くの異なる考え方と触れ合うことで、他者の気持ちや様々な考え方を学ぼ
う。こういった心構えで臨めばプレゼンテーションは成功し、利益が生まれる。
(2004年6月15日/日経新聞夕刊・西川りゅうじん氏「丸の内キャリア塾」より)
「立て板に水」の話法は、当の本人は流暢にしゃべっているため大満足ですが、時に聞き手
を置き去りにします。たとえ朴訥であっても中身が濃く、確固とした裏づけのある話なら相手は
必ず興味を示すものです。己の話術に酔うあまり、綺麗に体裁よくまとめることだけを考えるな
ら他者を説得するなど到底無理。
大事なことは話し方に自信をもつのではなく、聞き手に伝えるために万全の準備をし、一切
の手抜きを排する姿勢です。「何でもお尋ねください。一生懸命、回答させていただきます」と
いう真摯な態度があってこそ「まっとうな自信」というもの。最近、どうも根拠のない自信を振り
かざす人が多いように感じていたので、西川氏のいう「自信」の定義に大賛成です。
人的ネットワークの必要性も「井の中の蛙」になるな!ということでしょう。自分に都合のいい
人や同じ価値観の人ばかりと付き合っていると、「ふり返り」ができません。時には否定され、
腹立たしかったり落ち込んだりすることもあるでしょう。しかし、そういう「他流試合によって自分
の長所や弱点が分かる」と西川氏はいいます。
プレゼンテーションはビジネスの場に限ったことではないと実感できますね。
NO.8(2004/06/20)
「自分が分かるということ」
コミュニケーションとは、お互いの話を通じて相手のことが分かると同時に自分のことが分か
るということ。逆に言えば、自分が分からないと相手のことも分からない。
他者を理解するには、相手をよく観察する目が必要。分かろうとする好奇心・努力がないと人
のことは分からない。これがコミュニケーションの基本である。
(2004年5月16日/朝日新聞朝刊・養老孟司氏「個性とコミュニケーション」より)
文中、管理職の仕事に関する箇所があります。「仕事で伸びるかどうかはその人がどこまで
本気になれるか」で決まり、本気になれず伸び悩んでいる人がいれば、落伍者と決めつける前
にどうすれば本気になれるかを考えるのが上司の役目だと指摘しています。
相手と真剣に向き合おうとすれば、自然と自分の姿も露わになってきます。「何でこんなこと
もできないんだろう」と相手を軽蔑する自分、「自分でやった方が早い」と思う短気な自分、「こ
んな無気力な人に関わりあっている暇はない」と感じる余裕のない自分。表面上、理解のある
上司のフリをしていても突き詰めると、こうした嫌な自分に出会うことになるでしょう。
会社における上司部下の関係に限らず、他者と対峙する自分を見つめるのは結構しんどい
ことです。しかし、自分の弱み・欠点といった負の部分に目を向け、苦手なことや受け入れがた
いものを自己認識し、それを克服していかなければ他人を説得することはおろか、スムースな
人間関係の構築も難しいでしょう。
今、順調でも、この先どうなるかは分かりません。「これでいいのだ」と思わず、常に「他人」と
いうフィルターを通して自分を眺めていく必要性を痛感します。
NO.7(2004/05/16)
「ダイバーシティ」
「多様性」は英語で「ダイバーシティ= diversity 」」という。外資系企業を中心に個人の職業
人としての個性・能力を尊重し、差別のない多様性に富んだ働きやすい環境作りに取り組むた
めのキーワードとして「ダイバーシティ」を掲げる会社が出現している。
内容は、処遇面での男女差別や障害者差別を指し、内部監査項目に取り入れたり、社風改
革のスローガンにする企業もある。
(2004年5月10日/日経新聞夕刊「女性と社風改革」より)
「ダイバーシティ」は聞き慣れない言葉ですが、企業内では最近流行のようです。ある企業で
は「ダイバーシティ・フレンドリーな会社風土」の基盤として「セクハラ・パワハラがない」「仕事と
生活のバランスがとれる」「性別役割の固定観念がない」等のポイントを挙げているとのこと。
「多様性を尊重する」とは、結局、どれだけ相手の立場になれるかにかかってくるように思わ
れます。記事には、皮肉なことにダイバーシティ先進企業では、「過去に差別など受けたことが
ない」という若い女子社員にどういうメッセージを出していけばいいか、40代のカウンセラーが
ギャップを感じ、今後はエイジ・ダイバーシティが課題になりそうとの記述がありました。
差別されたことがないからといって、差別を理解しようとしないのは自分の周囲の箱庭的な安
息の中でのみ物事を捉えていることの表れでしょう。こうした人たちは、時に悪気なく他者を傷
つけることがあります。
日常会話の中で、しばしば「価値観の相違」「人それぞれ」といった表現が出てきますが、こ
の言葉は一見、多様性を認めているかのようで、実は、「理解不能」を綺麗に表現したに過ぎ
ません。この一言で「ハイ、おしまい」とプッツリ相手を切ってしまっているかのような印象さえ受
けることがあります。
人それぞれ、考え方・能力が異なるのは当たり前。そこをスタートラインにして、賛成・共鳴で
きなくても「色々あって面白い!」と思える心の幅をもちたいものです。「ダイバーシティ」が掛け
声だけの「お題目」に終わらないよう、今後、この言葉に注目していくつもりです。
NO.6(2004/05/16)
「ストレスを楽しめるか?」
ストレスの存在なしには種の進化、個体の成長、人における人格的成長も望めない。種が暑
さ寒さや飢え渇きといったストレスに直面し、生き残りを賭けて適応を遂げてきたように、ヒトに
とってもストレスは成長を果たすために必要な刺激である。
ストレスを楽しめるかどうかで人生の成り行きもかなり変わってくる。どうせ、避けられないな
ら楽しまなくては損。
(2004年5月8日/朝日新聞夕刊・なだいなだ氏「私の視点」より)
精神科医でもある作家・なだいなだ氏は、過剰なストレスは良くないが、適度なストレスは人
間の成長にはむしろ必要だと論じています。ストレスは制御不能のものではなく、「人生に挑戦
する人にとってはストレスは利用する対象となる」と指摘しているのが目を引きました。
確かに、職場や近所付き合いで一切、不満や心配がなければ、非常に幸せですが、ハッピ
ーな状況は永遠に続くわけではありません。異動や転職で職場環境は簡単に変わりますし、ご
近所の様子も転居や家族構成の変化に伴い微妙に変わっていくでしょう。
ぬるい状態に漂っていると他者との交流術を磨く必要がないので、当然ながらスキルも身に
つかず、悪い方に状況が変わったとき、逆作用で些細なことでも大きなストレスと感じ、対処で
きない恐れもあります。
ストレスを利用する、とは「ストレスを乗り越える体験により、人間は依存状態を離れ、自由を
手にする」となだ氏は説き、「ストレスの増大は成長のチャンス」と言い切っています。
このように考えられたら、近年、社会問題となっている「うつ・ひきこもり」もなくなりそうです
が、世の中、強い人ばかりでないのも事実。困難に立ち向かっていける人なら「楽しんでいる」
とまで思えなくても、ふり返って「あの時、あのストレスが自分をここまでにした」と思えるでしょう
が、そうでない人は重圧に押し潰され、自分のみならず家族まで巻き込む不幸を抱え込む事
態になりかねません。
なだ氏の論説は一見、理想論です。しかし、ストレスとは切っても切れない人間社会に生きて
いるからには「そうは言ってもねぇ……」と斜に構えて何の得があるでしょうか。なだ氏ご本人で
さえ「年月を経るうちにストレスが人生の楽しみの一要素だと少しずつ思えるようになった」と控
えめに表現しています。難しいのは承知の上。
ストレスを楽しめるか否かは、少しのやせ我慢と人生の目標の有無で決まってくるように私自
身は考えます。
NO.5(2004/05/08)
「現在の事業に役立った勤務先の仕事」
「店頭での接客・販売」 → 20歳代 7.7% 30歳代 6.6% 40歳代 6.3%
50歳代 5.3% 60歳代 1.3%
「店頭以外での接客・販売」 → 20歳代 4.3% 30歳代 8.8% 40歳代 9.2%
50歳代 11.4% 60歳代 9.3%
(国民生活金融公庫総合研究所「2002年度新規開業実態調査」より)
最近、中高年の創業が増加傾向にあるようです。経済誌でも「50歳からの起業」などと銘打
ち、大々的に特集を組んだりしています。
上記アンケート結果によると、年代が高くなるにつれ、店頭での接客経験よりも店頭以外で
の接客が現在に役立っていると感じているのが分かります。
営業スタイルとして難しいのは、明らかに「店頭以外」のほうです。
ある程度の関心をもって店まで足を運ぶ客に比べ、飛び込み営業の場合、ゼロから商品の
売込みをしなくてはなりません。先ずは話を聞いてもらうことから始める必要がありますが、そ
れすら容易ではないはずです。時には、心無い言葉を浴びせられることもあるでしょう。
しかし、その経験によって、対人折衝能力、話術といったコミュニケーショに不可欠の要素が
自ずと磨かれていき、結果的には事業を始めてみると自分の強みとして身についていたという
ことではないでしょうか。
ベンチャー、起業ブームの中、「人付き合いが苦手だから、気ままに一人でやれる仕事がし
たい」「組織の中であくせくしたくないから自分で事業をしたい」「人にヘイコラしなくていい社長
になりたい」といった暢気なことを言う人がたまにいます。
仕事をする以上、必ず売り手、買い手、つまり「人間」が介在します。どれほど、素晴らしい事
業プランやノウハウがあっても、他者を避けたり、疎んじたりしていてはビジネスとしての成功
は望めません。顔の見えないネットショップでさえ、「ネットだからこそ、よりきめ細やかな人間
的サービスを」といった方針を打ち出している店舗しか成功は難しいといわれています。
人生80年ともいえる超高齢化社会の到来に向け、ハッピーリタイアの選択肢もありますが、
一生、働けるだけ働きたいと考えるのなら、多少、やっかいな人と仕事上、出会っても、将来へ
の積み立て貯金と思って前向きに捉えたいものです。
NO.4(2004/03/27)
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「GUCCIの審美眼」
サンモトヤマ会長・茂登山長市郎氏は、GUCCIのロゴを読める日本人さえいなかった敗戦
後の日本にあって、フィレンツェのグッチ本店を欧州行きのたびに日参し、日本における独占
販売権を獲得した人物。
当初、全く相手にされなかったが、成功のきっかけは創業者の息子に店内を案内された時、
差し出された銀のシガレットケースを自分のハンカチで指紋を拭き取ってから戻した所作にあ
ったという。
(『プレジデント』2004.3.15号/最後の商店街「銀座激変マップ」より)
記事の筆者は、茂登山氏の行動を見たグッチ氏が「これほど商品を愛する男なら信用でき
る」と思い販売権を渡したのでは、と推察しています。
この記事はタイトルからも分かるように、特段、コミュニケーションについて語られたものでは
ありません。しかし、私はとっさの行動に裏打ちされた日本人の価値観(ものを大切にする)、
彼の人間性・品性を見抜いた息子の観察眼の鋭さに関心をもちました。
別に、相手を試すためにしたことではないでしょう。茂登山氏の行動も、気に入られたい、と
いった下心から出た行動でないのは明白です。
このような、とっさの対応は計画や準備をしてできる所作ではないからです。
現代のように誰もが気軽に海外に行ける時代だと大して意識しませんが、やはり海外での私
たちはある種、日本人の代表です。逆の立場で、日本で出会う外国人の方々を見て、その国
や国民性まではかっている部分があることも否定できませんね。目の前にいる人が全てでは
ないと頭では分かっていても、感覚的に「○○人は几帳面」とか「○○の国の人ってせっかち」
などと、つい口にすることがあるでしょう。
グッチ氏は美しい所作の日本人・茂登山氏を認め、自社製品を日本で売ってみたいと思った
のではないでしょうか。
「所作」は「非言語コミュニケーション」。時に、百の言葉を尽くすより、多くのことを相手に語り
かけます。茂登山氏は結果的に、一瞬の行動で相手の心を掴むことに成功したわけです。モノ
でも心でも美しいものは見逃さないグッチ氏の審美眼・感応力もさすが。
とても素敵なエピソードです。
NO.3(2004/03/23)
「新卒採用での重視要素は?」
1位・コミュニケーション能力 2位・チャレンジ精神 3位・主体性 4位・協調性 以下、略
(日本経団連「2003年度・新卒者採用に関するアンケート調査集計結果」より)
上記順位は、日本経団連が採用側の企業から得た回答結果です。
学生の素養に対する企業の評価としては、コミュニケーション能力を重視する動きが年々顕
著になっているとのことで、実に7割近くの企業が重視ポイントとして挙げています。
即戦力がもてはやされる時代にあっても、1位は「専門知識」ではなく「コミュニケーション能
力」。非常に興味深いことです。やはり、対人関係がうまくいかないことには始まらないといった
単純明快な理由からでしょう。
そう言えば、「仕事は面白いけれど、職場内コミュニケーションがうまくいってないので転職で
なく、転社したい(仕事内容は変えずに会社を変わる)」といった嘆きを聞いたことがあります。
必要な情報を上司が部下におろさないといったコミュニケーション不足で職場環境の悪化を
招くこともあり、コミュニケーション能力が大切なのは新入社員に限ったことではありません。
職場でのコミュニケーション能力欠如に端を発する問題が多いため、こういうアンケート結果
が出た?と考えるのは少々深読みでしょうか……。
NO.1(2004/03/14)
「企業が求める若年労働者の能力とは?」
上位10位は、「コミュニケーション能力」、「基礎学力」、「責任感」、「積極性・外交性」、「資
格取得」、「行動力・実行力」、「ビジネスマナー」、「向上心・探究心」、「プレゼンテーション
能力」、「職業意識・勤労観」
(厚生労働省2004年1月29日発表「若年者の就職能力に関する実態調査」結果より)
調査機関は違っても、ここでも「コミュニケーション能力」が第1位。
上記調査結果は、事務系・営業系職種について、企業が若年者採用時に求める能力のベス
トテンです。さらに、企業側が求める能力の若者側の習熟度を問うと、全項目、「不満」が「満
足」を上回る企業数となったそうです。
理想は、ベストテンの能力全てを備えている若者に来て欲しいが、実態は理想とは程遠いと
いうことでしょうか。これほどまでにコミュニケーション能力が重視されているのは、いかに職場
でコミュニケーション不全に陥っているかの証左でもあります。
企業人の場合、一日の大半を過ごすのが職場です。この間、ただ、与えられた仕事をしてい
れば済むというものではありません。本来業務以外で気の揉めることがたくさんあり、帰宅時
には疲労困憊。
試しに帰りの電車で耳を澄ましてみてください。サラリーマン、OLと思しき人たちが会社や同
僚の悪口を言っているのが聞こえてきます。「あいつ、自分の目の前で鳴っている電話を取ら
ない!」「お弁当食べ終わったテーブルを拭きもしない。注意すると、私が拭くんですか?お掃
除の人がやるんじゃないですか?ときたもんだ。あーあ!」等々。
些細なことですが、ちょっとした意思の疎通がないためにお互い、ギスギスして労働意欲も低
下し、やがては会社を辞めたくなるわけです。
「すみません、今、手が離せないので電話をとってもらえますか?ありがとうございます」、「こ
こは会社だから、食事が終わったらすぐにテーブルを綺麗にしておかないと書類にお醤油でも
ついたら大変よね。皆で心がけるべきマナーじゃないかしら」ともう一言、多く話せば通じること
もあるのではないでしょうか。
「なぜ、そこまで下手に出なくてはいけないのか」との反感も湧くでしょうが、私たちは「言語」
という素晴らしいコミュニケーションツールをもっているのですから、もっと活用したいものです。
難しい人と関わる試練は自分のコミュニケーション能力を磨く絶好の機会でもあるわけです。
NO.2(2004/03/14)
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