RED CHRONICLE



プロローグ



主の手が短くて救えないのではない。
主の耳が鈍くて聞こえないのでもない。
むしろお前たちの悪が
神とお前たちの間を隔て
お前たちの罪が神の御顔を隠させ
お前たちに耳を傾けるのを妨げているのだ。
お前たちの手は血で、指は悪によって穢れ
唇は偽りを語り、舌は悪事を呟く。
正しい訴えをする者は無く
真実をもって弁護する者も無い。
虚しい事を頼みとし、偽って語り
苦労をはらみ、災いを生む。
          イザヤ書 第五十九章一節以下より




序章



 時は明治、長きに渡る徳川幕府も終わりをつげ帝都東京は活気に満ち溢れていた。上野公園には、五月の暖かい日差しがほのぼのとあたっていた。そんなうららかな春の昼下がりにそれとは対照的な軍服を着た高坂一馬(こうさか かずま)が立っていた。
  ここで少し主人公高坂一馬について触れておこう。経歴はこの春晴れて陸軍養成学校を首席で卒業している。今の階級は少尉である。性格はまじめで厳格、そして周りへの気配りも忘れないという優等生ぶりである。
 なぜその一馬がこんな場違いな場所にいるかという話は一ヶ月前にさかのぼる。
ついに配属先が発表になるその日、一馬は一人教官室で待たされていた。教官と二人気まずい雰囲気が漂う。
「なぜ私はここで待たされているんですか?」
「それは私の口からは言えん。また詳しくも知らん。上からの命令だ。しばらくここで待っていろ。」
「なぜ教官殿の口から言えないのですか?」
「私にもよく知らされておらんが、お前はこれから軍の中でも特に重要な部署に配属になるらしい。それ以上の事はわからん。」
なんど尋ねても教官の口からは、詳しい事はわからない。口調から教官にもわからないらしいと言う事はわかったが。しばらくして陸軍高官と思われる大男が入ってきた。年のころは五十をちょっとすぎたあたりだろう。
「やあ、君が高坂君だね。私は陸軍少将、太原達幸だ」
太原は優しい口調で一馬に話しかけた。
「早速だが君に配属指令を出させてもらう。君は五月一日付けで陸軍帝都防衛部隊に着いてもらう。詳しい事は長官の大野中将に聞きたまえ」
「失礼ですが、大野中将とはあの東西にこの人ありと謳われた。あの大野淳二中将でありますか」
「そうだ。詳しい事は言えん、質問も許さん。これはこれからの日本を左右する重大な任務だ。心してかかりたまえ」
太原は急に厳しい口調で言い放った。それには有無を言わせぬ迫力があった。
「はっ。高坂一馬しかと了解いたしました。」
「期待しているよ、高坂君。がんばってくれたまえ。あと大野中将のような人のそばで働ける機会はそんなにあるものじゃない。この機会を通してよりいっそうの進歩を願っているよ」 また元の優しい口調に戻った太原はそう言い残して教官室を後にした。

しかし、何で上野公園で待たなければならないのだろう。一馬が上野公園に来てから、もうだいぶ経っていた。いまだにそれらしき人が来る様子も無い。丁度昼時で、人通りもまばらである。そのうえ前を通っていくのは、親子連れだの、男女二人だのと、とても軍関係者とは思えない人ばかりである。それよりも一馬の腹もそろそろ限界に近い。二時間も外に立ちっぱなしでは、さすがに屈強な若者でも腹が減るのは当然の事であろう。まだかとまだかと思っていたそのとき
「すいません、あの高坂少尉ですか?」
振り向くとそこには、期待していた軍服の人間の姿はなく、女性が立っていた。しかも、年はまだ十七、八といった所だろう。あまりの意外さに一馬は思わず少女を凝視する。少女の方もあまりの気迫に後ろに引き下がるが、思い切ってもう一度口を開いた。
「あの・・・・高坂一馬少尉ですよね・・・。」
「ああ、そうだけど・・・。」
間違いない。この少女こそ軍の関係者だ。一馬はあまりの意外さと驚きにまた黙り込む。しかし少女の方は安心したのか、顔を和らげて話し出した。
「よかったぁ。私また間違えたのかと思って心配しちゃいましたよ。あ、私は大野署長のお使いできた山川なぎさと言います。これからよろしくお願いしますね。」
「ああ」
「そういえば、高坂さんは東京初めてですか?」
「いや、昔来た事があるんだけど、ずいぶんと変わってしまって驚いているんだ。」
「そうなんですか、私はつい二ヶ月前に着たばかりでよくわからないんですけどね」
だいぶうちとけてきたとき、ドン、近くで大きな爆発音に似た音が起きた。
「なんだ、いまのは?」
ふと後ろを見れば、高さは五、六メートルは有ろうかという人形をした鉄の物体が大太刀を持って迫ってきていた。
「高坂さん、逃げましょう」
「まて、俺は軍人としてあいつを倒さなければ」
「やめましょう。無駄死にするだけです。それより今は逃げましょう。心配ありませんよ。帝国陸軍がきっとすぐに対応しますから」
なぎさは落ち着き払っていった。たしかに何の武器も持たない人間があんな怪物とやりあって勝てる訳が無い。走りながら、一馬は疑問を片っ端からなぎさにぶつけた。
「あれはなんだい?」
「通称甲鬼(こうき)と呼ばれる人型無人霊子兵器です。近頃よく出るんですよねぇ」
「人型無人霊子兵器ってなんだい?」
「あとで大野長官が説明されるとおいもいます」
「ところで、誰がアレを止めるんだい?」
「・・・・・陸軍か海軍じゃないですか?」
「へぇ。」
一馬はなぎさの最後の答えにいささかの戸惑いを感じながら駅まで走りぬいた。
そのころには陸軍でも到着したのか、追っ手が遅いのかもう甲鬼の姿は視界の内に無く、周りには慌てふためく人の群れのみが映った。しかし、危機が去ったのを感じたのか、すぐに先ほどまでの静寂を取り戻し、いつもと何一つ変わらぬ光景がただ繰り返されはじめた。あれほどの事がまるで無かったかのようだ。一馬は、目の前で起こった事を夢でも見ていたかのように思わざるを得なかった。
「高坂さん?どうかしましたか?」
気が付くとなぎさが、心配そうに一馬の顔を覗きこんでいた。
「ごめん、まだ何がなにやら、全然わかって無いんだ。」
「そうですよね。はじめ見たときは私もすごく驚きましたから・・・。そろそろ、大野長官のところに行きましょうか?」
「そうだった。じゃ早速案内してもらっていいかな?」
「はい、じゃあついてきてください」
そういってなぎさは元いた公園の方へ歩き始めた。どうやら、大野は公園内にいるらしい。西郷の像の前を通り、弁天堂を横目にしつつ、しばらく葉桜の並ぶ道を行くと、少し前に立てられたと思われる木造の建物が見えてきた。
「ここかい?」
「はい、そうですよ。しばらくここで待っていてください」
笑顔でそう言い残すとなぎさは奥へ消えて行った。¢メっていろ″っていわれてもなぁ。一馬がそう思うのも無理は無い。「上野公園管理事務所本部」。この建物の名前である。すっかり、陸軍帝都防衛部隊第×支部とかいうところに、つれて来られると思っていたからだ。この驚きと戸惑いは一通りでは表すことは出来まい。何も出来ずにただ立ち尽くしていると、そこにききなれぬ関西弁が聞こえた。
「あんさんが、高坂はんでっか?大野はんが向こうで呼んどるから、着いて来てくれや。」
 みれば、人のよさそうな年の頃は四十から五十くらいのやせた男が手招きをしているではないか。
「ああ、自己紹介がまだでしたな。わしはここで働いとる、松本誠いいます。いご、よろしゅうたのんますわ。高坂はん。」
この松本につれられて、奥へ進むと所長室と書かれた部屋に着いた。やはり軍の施設と言うより、古ぼけた公園管理員室のイメージが強い。
「大野はん、高坂はんを連れてきましたで」
 中からは何の返事も無い。無人かと思えるほどだが松本は気にする様子さえ無く
「高坂はんワシはもう行くによって、あとは大野はんにきいてくれや」
 それだけ言い残して行ってしまった。念のためにノックして見るが無論返事などは無い。しかし、勇気を出して入って見る。
「失礼します。このたび配属になりました。高坂一馬であります。」
 入って見ると奥の机にこの建物に似合わぬ背広をきっちりと来た初老の男が座っていた。挨拶をしたものの何の反応も無い。敬礼の姿勢のまま固まる一馬。動かない大野。その前には一枚の紙が置かれている。一馬の位置から内容を見る事は出来ないが、大野はそれを睨み続けたまま微動だにしない。五分ほど経ったかと思われる頃、突然大野が手を打ち、紙に何かを書いたかと思うと、やっと話し始めた。
「君が高坂君だね。私が今日から君の上司となる大野淳二だ。君には期待しているよ。仕事の内容だが、しばらくはなぎさ君に説明してもらってくれ。基本的には難しい事は無いだろう。毎日のようにゴミを荒らして行く忌々しいカラスの事を除けばだがね。」
「つまりこの公園内の掃除ですね・・・・・」
「さすが、主席で卒業しただけの事はある。頭の回転が速い」
 絶望と困惑で頭がいっぱいの一馬をまるで無視しているかのように大野が続ける。
「あえて訂正するなら公園とその周辺だな。上野駅や博物館もウチの管轄だよ。池の掃除だってやるし、樹の手入れだってやる。何でもありだ。将来的には丸の内や霞ヶ関にも進出したいものだね。」
 ある程度予想していたとはいえ、やはりショックである。気を落ち着かせ一馬は力無く言った。
「わかりました。失礼ですが、先ほどからご覧になっていたあの紙はなんですか」
「この紙かね。これは今流行のクロスワードパズルだよ」
「クロスワードパズル?」
 あまりの事に聞き返すと
「そう、クロスワードパズル。いや〜、一度はじめると終わるまで止められなくてね。君はやったことあるかい?」
 このあまりの答えに一馬は意識がとうのいていくのを感じた。その微かな意識の中で人の話し声を聞いた。


「お〜い、高坂君!どうした〜大丈夫か〜?・・・・・・だめだな、こりゃ」
そこになぎさが入ってきた。
「きゃ、高坂さん!大野長官、何があったんですか?」
「慌てるな、なぎさ君。今頃きっといい夢を見ている頃だよ」
「いい夢って・・・でも、白目剥いてますよ。」
「そうか、現実は時に残酷なものだな」
続く


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