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第2章


子どもの成長と影響



 11才になる私の息子は豚を飼っていて悩んでいました。その豚は鼻で水の入ったコンテナをひっくり返すので、きれいな水をやることができないのです。私たちはひっくり返せないような、重いコンクリートの水入れを作ることにしました。まず木の枠を作って、その中にコンクリートを流し込みました。

 私たちが作業をしているとき、私は息子に、子どもの生とはちょうどこの仕事のようなものだと教え始めました。家庭づくりはこの木の枠のようだ。子どもたちの生は流し込んだコンクリート。そしてある日、枠が取り外されるとき、彼らは強く有用な者になっている。子どもの躾とは、コンクリートのように大人の生き方へと固くしていくものだ、と。私は次第に流暢になっていきました。彼らは礼儀正しく、そして適切に聞いていましたが、私が一息つこうと手を休めると、子どもたちは走って行ってしまいました。彼らの生と豚の水入れの話しも明らかに感銘を与えてはいませんでした。

 子どもたちにはまだこの話しは難しすぎたのでしょう。私は彼らを責めることはできません。子どもたちの生を形づくる様々な影響を十分よく考えるのは簡単なことではありません。彼らはまわりを取り巻く状況によって、すでに形づくられ、固められているのです。家庭生活のすべてが、その子がどのように成長するかに深い影響を与えます。



人格形成の要因となるさまざまな影響

 この章で私は、子どもの人格形成の要因となるさまざまな影響をあなたが理解しやすいように、一つの図を示したいと思います。“Shaping Influences”(「人格形成の要因となる影響」)という言葉は新規なものかもしれませんが、その意味するところは人類の歴史と同じほど古いものです。影響とは、子どもの発育期における出来事とまわりの状況のことであって、それはその子をある人物に作り上げていくためのきっかけとなることを証明するものです。しかし、その形成は自動的ではありません。その出来事やまわりの状況に彼がどのように反応するかが、すなわち彼の受ける影響を決定するのです。

 子どもの小さい頃の経験が、その後の生涯全般に密接なかかわりをもつことを認めるためには、はっきりとした聖書的根拠があります。家族を取り扱っているおもな聖書箇所(申命記6章、エペソ6章、コロサイ3章)は、子どもの小さい頃の経験がその後の人生すべてにかかわってくることを前提としています。聖書は人格形成の要因となる影響に注意を払うように要求しています。

 子どもは二つのことからある人へと成長します。第一は彼の人生経験です。第二は彼がその経験とどのように影響し合ったかということです。初めの図は、生活上のさまざまな影響を取り扱っています。次の章で私は、そのようなさまざまな影響に対する子どもの応答を示す図を紹介したいと思っています。彼はただ単にその生活状況のままに行動をしたわけではありません。彼は反応したのです。彼は神に向かう本能に従って応答します。これらの図を理解することは、あなたの子どもがどのような時に導きと牧されることを必要としているかを知る助けになるでしょう。下の図の中にある矢印は、人格形成の要因となるさまざまな影響を示しています。これらの影響は両親の手の届く領域であれ、外であれ、子どもに働いてその生に力強く影響を与えます。



家庭生活の構造

 一本の矢印は家庭生活の構造をあらわしています。その家族は伝統的にはっきりしない家族ですか。子どもには何人の保護者がいますか。二世代家族ですか、三世代の家族ですか。両親ともに健在で、家庭において機能していますか。両親のそれぞれの役はどのように構成されていますか。家庭生活は一人の子を取り巻いてできあがっていますか、それとも他に子どもがいますか。子どもたちの出生の順序はどのようなものですか。子どもたちの間では、お互いどのような関係がありますか。子どもたちの年齢、能力、興味、個性などの近さや、かけ離れ具合はどうですか。子どもの個性と、家族の他の者との調和はどうですか。

 サリーと彼女の夫がカウンセリングを受けに来ました。彼らは新婚の夫婦でもろもろの調整の困難さに直面していました。サリーが克服しなければならなかったもっとも困難なハードルの一つは、夫が彼女中心に生活を形成しなかったことでした。彼女は一人っ子でした。彼女の両親は何でも彼女に買い与えて甘やかしたわけではありませんでしたが、彼女の欲しいものや必要なものを優先させてきました。彼女は、夫が自分の願いに合わせて生活を組み立てないので、今では不愉快に感じていたのです。彼女の子どものときの家庭生活は、夫に対する彼女の要求と期待を深く形づくったのでした。


家族の価値観

 他の矢印は家族の価値観を示しています。両親にとって何が大切なことですか。何を重宝がり、何を気にも留めずに素通りしますか。物よりも人が大切ですか。両親は制服に穴をあけたことに、よりストレスを感じますか、それとも学校の友達とけんかしたことにですか。子どもたちはどんな思想や考えを聞いていますか。子どもは家庭でかえりみられていますか。家庭生活で口に出して言うルール、あるいは暗黙のルールは何ですか。家庭生活と神との間に調和はありますか。生活は神を知り、神を愛するために整えられていますか。それとも、それとは違う軌道に載っていますか。「キリストよりも、むしろこの世の根強い原理に依存した、中身のない偽りの考え方によって、誰もあなたがたをとりこにすることがないように気をつけなさい。」(コロサイ2:8) あなたが尋ねなければならない質問はこれです。私の家庭の価値は、人の習慣と、この世の根強い原理に基づいたものだろうか、それともキリストに基づいたものだろうか。

 私は最近十歳の子どもに、高価な花瓶を割ってしまった時と、親の言いつけに従わなかった時のどちらがよけいに叱られますかと尋ねてみました。すると子どもはためらいもなく「もちろん花瓶を割ってしまったときがひどいに決まってるさ。」と答えました。この子は、その家庭の価値観をよく知っていたのです。その子は不従順な男の子よりも高価な花瓶の方が、お父さんお母さんにとって、より大切なものだという暗黙の価値観を心得ていたのです。これらの価値観は、空しい、偽りの考え方に基づいていたのです。

 その他にも家族の価値観に関して別の方面があります。家族の中にどのような境界線がありますか。秘密はどこで守れら、どこで明かされていますか。隣人との関係は本能的にオープンですか、閉鎖的ですか。家族をかこむ塀はどれくらい高いですか。塀の侵入口はどこにありますか。ある家族は自分たちの問題を決して親戚に告げることはしませんが、隣人に対してはすべてを自由に打ち明けます。ある家族は兄弟に助けを求めますが、近くにいる隣人には決して求めません(箴言27:10)。ある子どもなどは家庭の一定の支出をちゃんと承知しているのに、ある子どもは父親がどれくらいお金を稼ぐのか知らずに育ちます。ある親などは子どもたちに対して秘密を守ります。ある子どもは親には決して秘密を打ち明けません。母親と子どもが父親に対して秘密を持つことがあります。あるときには父親と子どもが母親に対して秘密を持つことがあります。どんな家族であっても家族の境界線というものをもっています。彼らは秘密が打ち明けられないまま、そこで共に生活するのです。


家族の役割

 家族の中にはそれぞれが受けもつ役割があります。ある父親は家庭生活のすべての面に関わりを持ちます。別の父親は忙さのあまり家族の活動から離れています。家族の役割分担についてもっといろいろと語り合ってください。誰が請求書の支払いをしているのかとか、誰が家族のスケジュールを決めているのかといったような微妙な事柄でもいいのです。子どもたちにも家族の中での役割があります。私はある家庭を知っています。そこでは子どもたちが父親の靴下や靴をはかせるように求められます。なぜなら父親が肥満だからです。彼が過酷で荒々しくこのような要求をしているうちは、子どもたちはその家庭生活における彼らの役割について、権威をふるった声によって形づくられているのです。


家族の悩みの解決

 結婚のカウンセリングをする人なら誰でも、家族の影響力で問題がどのように解決されるかをあかしすることができます。家族は自分たちの問題について語り合うすべを知っていますか。彼らはものごとを解決しますか。それとも単に見て見ぬ振りをしますか。問題を聖書の原則によって解決しますか。それとも力ずくでしますか。家族の人たちは、ちょうど1ダースのバラが悩みを解決するように、暗黙のシグナルを使いますか。箴言12:15,16にはこう書いてあります。「愚か者には自分の道が正しく思えるが、知恵のある者は忠告に耳を傾ける。愚か者は苛立ちをすぐ現わすが、思慮深い者は侮辱を気にとめない。」と。子どもは家庭の影響によって、愚か者にも思慮深い者にも知恵ある者にも形づくられるのです。

 サミー君は気に入らないことがあると、幼稚園の部屋からおこって出ていきます。先生が話し合うために両親を呼びました。サミー君のお父さんは話しの内容にイライラして、突然部屋から出て行ってしまいました。先生はサミー君がなぜあのような行動をとるのかよく理解することができました。


失敗に対する家族の反応

 人格形成に深く関係する要因として、親が子どもたちの失敗をどのように扱ったかということが挙げられます。子どもの時は未熟な試みや、実らない骨おりに満ちています。未熟な子どもたちは洗練された世界で必ず間違いを犯すという生活術を身につけていきます。

 私たちの目的にとって大切なことは失敗がどのように扱われたかということです。失敗した子どもたちは、愚かさを感じるようにされるでしょうか。その失敗のゆえに罵倒されますか。家族の誰かをだしにして楽しむようなことがありますか。ある親は、失敗をしでかしたことを賞賛に値するものとして驚くべき力を示します。彼らはいつも励まします。彼らは大失敗の影響をなかったことにする名人です。子どもが信用できる賞賛を受けるか、あるいは咎め立てや批判を受けるか、その両方のミックスを受けるかということは、子どもの人格形成上、力強い影響となります。


家族の歴史

 別の要因は、それぞれの家族にはその家族の歴史があるということです。家族の出生や死、結婚、離婚などがあります。それぞれの家族は社会的な安定、不安定を経験します。経済的に恵まれていたり、苦しかったりします。ある家族は健康に恵まれ、ある人はいつも病気と戦っています。ある家族は隣近所にしっかりと根づいていますが、ある家族はしょっちゅう引っ越したりして近隣にかかわっていません。

 私は最近、ある女性の子どものことでその人を助ける機会がありました。私たちはこのような会話をしました。


「あなたは子どもの頃、どれくらい引っ越しましたか。」
「たくさんしました。」
「5回? 10回?」
「いえいえ、もっとです。」
「20回はいかないでしょう。」すると彼女はしばらくじっと考え、数えました。
「20回より多いですわ。」

彼女は後に、彼女とその姉妹は18才になるまでに46回引っ越したことを教えてくれました。

 確かに家族の歴史というものが、この女性の価値観やものの見方を深く形づくっていました。

 この手短なリストは、私たちの人格に影響を与える要因のほんの一例にすぎません。これらのことが私たちに影響を与えるということは否定できません。



人を形づくる影響についての間違った考え



 人格形成の要因となる影響をどのように見るかということについて二つの間違った考え方があります。一つは、人を形づくる影響を決定的なものとして見てしまうことです。子どもは、その子が育つ環境の無力なえじきだと決めつけるのは間違いです。もう一つの間違いは、それとは反対のものです。子どもというのは、小さい頃の経験からは何の影響も受けないと言い切ってしまうのは間違いです。箴言29:21のような箇所は、子どもの経験の重要さを描いています。ここで私たちは、若い頃から甘やかされたしもべは、しまいには嘆きをもたらすということを見ます。

 否定するのも、絶対的なものと決めつけるのも正しくありません。あなたは人格形成の要因となる影響を聖書的に理解する必要があります。そのような理解は親としての仕事を果たしていくときに、あなたを助けるでしょう。

 あなたが子育てというものは子どものために最善の影響を提供すること以外の何ものでもないと結論するならばそれは非常に大きな間違いです。多くのクリスチャンの親はこの「クリスチャン決定論」を採用します。彼らは、十分に子どもを守り、匿うなら、子どもに対していつもポジティヴであるなら、クリスチャンスクールに通わせることができたなら、ホームスクーリングができたなら、子ども時代の最善の経験を与えることができたならば、自分の子どもは結局よくなると思い描きます。

 このような親たちは、適切な環境はよい子をつくると確信しています。彼らは子どもはあたかも自分で行動できないものだと言わんばかりに考えています。そのような考え方はキリスト教の装いをした決定論にすぎません。

 私には陶器職人の友人がいます。彼が言うには、粘土が自分の手にまかせてくれるままの形にしか器を作ることができないのだそうです。粘土は彼の手の中で単に受け身であるのではありません。粘土は彼に反応するのです。ある粘土はねばりがあって、しなやかです。別の粘土はもろくて、扱いにくいです。

 彼の観察はよい共通点を提供しています。すなわちあなたは人格形成の要因となる最も安定した影響を与えるように注意しなければなりませんが、ただじっとしている粘土を形づくっているだけだと想像してはいけません。粘土は形づくる手に応答します。それはその作り方を受け入れたり、拒んだりするのです。子どもたちは形づくりをなすがままに受ける者では決してありません。彼らはむしろ能動的な応答者なのです。

 あなたの息子、娘は彼らの人生の、神に向けられた焦点に従って応答します。もし子どもが神を知り、神を愛するなら、もしあなたの子どもが、神の知識はどんな状況にあっても平安を知ることができるという事実を抱いているならば、子どもはあなたの形づくる努力に建設的に応答するでしょう。もしあなたの子どもが神を知らず、神を愛さないなら、そしてその渇いたたましいを「水を貯めることのできないため池から飲むこと」(エレミヤ2:13)で満足させようとするなら、あなたの子はあなたの最善の努力に反抗するでしょう。あなたは神がこれをせよと召されたすべてをしなければいけません。しかし、結果は正しいことを正しい方法で行った場合よりもさらにもつれることになります。あなたの子どもたちは、あなたの育て方に応答したそのしかたに責任を負う必要があります。

 決定論では、よい影響が自動的に良い子をつくり上げると結論させます。これはしばしば後になって苦い実を実らせます。わがままでめんどうをかけるティーンエイジやヤングアダルトをもつ親は、彼らが与えた影響に問題があったのだと結論します。彼らはもう少しよい家庭をつくることができたら、事態はもっとよくなっていただろうと考えます。彼らは子どもというのは生活上の影響それだけで決められるのではないということを忘れています。箴言4:23が、心は泉であって、そこから生が流れ出る、と教えているのを思い出してください。あなたの子どもの心は、彼があなたの子育てにどのように応答したかで決まってくるのです。

 エベレット夫妻には反抗的な15才の息子がいました。彼らは子育てで多くの失敗をしたことを覚えていました。しかし、彼らの失敗は子どもの必要を見る目を盲目にしました。彼らが息子を見るときはいつも、自分たちの失敗に目を向けていました。その結果、彼らは子どもが罪を選ぶ子どもとして、決してその子を見ないようになりました。彼らは、息子の罪深い選択のために彼を咎めるべきなのに、それを見損なうようになりました。彼らは、子どもが神を信じ、神に従うことを選んでないということを見損なうようになりました。彼らは完璧な両親ではありませんでした。それは事実です。しかし、その息子は良い子ではなかった。これもまた事実なのです。

 このような見方は、人間というものは自分の心の性質に導かれる被造物だという事実を考えようとはしません。子どもは小さいときから自力で動けないわけではありません。あなたの子はその生活と相互にかかわっているのです。このことは私たちを次の章に導きます。


この章の適用問題

1.あなたの子どもにとって、人格形成の要因となる著しい影響は何ですか。

2.あなたの家族構成は? それはあなたの子どもにどのような影響を与えていますか。

3.あなたの子どもは家族の価値観をどのように共有していますか。あなたにとってとても大切なことは何ですか。

4.あなたの家庭内には何か秘密がありますか。あなたは子どもたちにとって大きすぎる問題でも、あまりにも打ち明けすぎて子どもに重荷を背負わせてはいませんか。逆にあまりにも打ち明けずに、彼らが神に頼り、神に生きる道を断ってはいませんか。

5.あなたの家の長はだれですか。そこには中心的な権威がありますか。それとも家族みんなで物事を決めますか。

6.争いごとの解決は通常どのようになされていますか。そのやり方は子ども一人一人にどのような影響を与えていますか。何か変化が認められますか。どのような変化ですか。

7.家庭内でどのような決め事がうまくいっていますか。または失敗していますか。

8.家族の歴史の中で中心的な出来事は何でしたか。その出来事はあなたにどのような影響を与えましたか。あなたの子どもにはどのような影響を与えましたか。

9.子育てについてあなたが見るとおりに、あなたは決定論者になろうと思いますか。あなたは子どもの人生における様々な影響に子どもたちが積極的に応答していることを見ることができますか。彼らの応答のしかたを、あなたはどのように見ていますか。

 




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